おんがく、あれこれ

 2年ぶりにライジングサン@石狩に行ってきた。
 
 くるり、DJ KRUSH+こだま和文(ともに8月12日)、Okamoto’s、にせんねんもんだい、Y.SUNAHARA(いずれも13日)が見られてよかったけど、腹が立つことも多かった。

 まずは良いことから書こう。

DJ KRUSH+こだま和文
 何よりもDJ KRUSH+こだま和文のジャズ~ヒップホップ~エレクトロニカを行ったり来たりするムーンサーカスの空気。これは自分の中で、今回のRSRの最高のパフォーマンスになった。

 ターンテーブルのスクラッチを音響マシーンとして駆使するKRUSHと、マイルス「死刑台のエレベーター」に吹き込まれたような、美しい流れ星みたいなミュートトランペットのサウンドを放つこだま和文の音楽的交感。でも単に「美しい」とか「キレイ」とかではなく、どことなくいがらっぽい殺気みたいなものが横たわっている。

 「この空気感だよなぁ。音楽を『おもしろい!』と思う瞬間て・・・」

 なんて考えるスキも与えないほど、地に足がしっかりついているけど、浮遊感あふれるパフォーマンスが繰り広げられる。不思議なステージだった。こだま和文のエレキカリンバもよかった。金属音なのに豊穣。その音に、ぶっといキックと軽やかなスネア。そしてKRUSH節ともいえるちょっと絶望的な、でも希望が持てそうな、破壊=再生を予感させるベースラインに乗っかって、エレキカリンバが鳴り響く。気持ちよかったなぁ。

 このKRUSH+こだま和文のダブ処理は、DUB MASTER Xが担当したんだそう。さらにボーカル(ラップ)で入った降神(おりがみ)のお兄さんも、なんかヨカッタ。第3次世界大戦。核戦争。いろんな恐怖やふざけたことはあるけれど、もっと前を、そのまたもっと前を想像して生きよう。なんて具合のポジティブなラップ。ただこう書くと、よくありがちな安トラックのクソヒップホップに堕しそうな思えるけど、さにあらず。そこに色即是空・空即是色なブッディズムに通じる質実剛健なマインドが、エレベーターシャフトのようにしっかりと内蔵されている。すごく説得力のあるラップだった(ちょっと着いていけないなと思う場面もあったけれど、これがKRUSH節にピッタリフィットしたのが不思議)。

くるり
 くるりは、いつかみたいなーと思っていたバンド。俺は「リボルバー」がいちばんすきなんだけど、さすがにライブでこの曲を再現するのは難しいわな。と淡い期待を抱いていたら、1曲目は「ブレーメン」。さらに続いて「ワンダーフォーゲル」。なかなかイイ。トランペット入りの5人編成になったらしいが、このバンドの大事な部分=独特のベースラインと、それに乗っかるギターの、弦楽器のバランスは相変わらず均衡が保たれていて、いいなぁと思った。さらに高田漣もゲストで参加!ここで演奏した「温泉」は、マジで気持ちがよかった。岸田のウンコトークは笑えた。

Okamoto’s
 Okamoto’sはマジクソぶっ飛んでた。全部の曲が好きではないけれど、ドラムがキース・ムーンのように高密度乱打し、ベースが手弾きで硬くて速くて重くて低いメロディーを奏で、ギターが発狂する。そしてボーカルはマラカスを振っている。最高なバンドだ。このちょうど6日前のWorld Happiness@東京・新木場でも見たんだが、そのときは15分くらいしか持ち時間が無く、消化不良でライブを見たのが正直な実感。でも、この日は違った。リンク・レイとザ・フーのカバーは、新木場よりも尖ってた。特にフーの「Kids are Alright」。ハマ岡本がジョン・エントウィッスルそのもの!と錯覚した瞬間が、何回か訪れた。ギターの風車カッティング、ギターのノイズを揺らしまくるプレイは、めたくそカッコよかった!この張り詰めたROCKIな感じ。ワカイモンだからこそ奏でられる、鋭いビート感。客を突き放すような、疾風怒濤のインタープレイは、発狂もんだった。サンキュー!オカモトズ!彼らのTシャツとバッジとタオルを買えたのは、うれしい思い出だ。

 そんなOkamoto’sを直射日光浴びまくって発狂してみてたら、次のにせんねんもんだいで残りHPは限りなくゼロに近かった。だから生まれて初めて、芝生(というか、荒っぽい茎)の上で寝転びながら、彼女たちの電撃インストディスコを聴く。1曲目はキーボード入り、2曲目はギターの足元で制御するシーケンサーが特徴的な曲。で、驚いたのが3曲目(というか、最後にやった曲)。ギターがシューゲイザー状態で、ビカビカしたノイズをぶちまけまくる!なんだこれ!すごい!ちょうど1週間前の8月7日、恵比寿リキッルームで見たときよりも、荒くれまくってたような気がする。ただ、できれば夜に聴きたかったな。

Y.SUNAHARA
 最後はY.SUNAHARA。「LOVE BEAT」「The Center of Gravity」など、名曲の美メロたちをクールな映像に載せて、砂原氏がぶっ飛ばしまくった!サウンドのミックス、映像のエフェクトをともにKraftwerk「Minimum-Maximum」な状態で、「現場」でそれぞれ加えていく。うわさに聴いていたスナハラマジックを、初めて見ることができて、うれしかった。レイ・ハラカミの「JOY」も飛び出して、なんだかエレクトロニカ全開の1時間。

 ・・・と書いてみて、気がついたのは、Okamoto’s(RED STAR FEILD)、くるり(SUN STAGE)以外は、みんなMOON CIRCUS。

 それも自分が「見たいな」と思っていたバンドにのみ、満足したている結果だ。

 悪くない。たしかに悪くないんだけど、前に行った2009年のRSRは「ぜんぜん知らないけどイイなぁ」と思えるバンドが、いくつかいた。それはパスカルズと、吾妻光良 & The Swinging Boppers。どっちもイイ意味でぶっ飛んでいて「うわー!音楽ってたのしい!」と感動する瞬間が、何度と無く訪れた。そして「RSRに着て良かった!」と感動したもんです。

 翻って今年はどうかというと、予定調和の音ばかりだった。あえて書けば梅津和時 KIKI BANDかなぁ。とは言っても、もそれほど神経にダイレクト注入、脳漿の深いところが刺激されるような音楽的興奮は、それほど訪れなかった。これまでいくつかの録音で音を聴き名前は知っていたけど、本人を拝むのは初めてという鬼怒無月(ギター)の動く姿を見られたのは興味深かったけど、めちゃくちゃ死ぬほど好きというギターの音でもないし「へー、この人かぁ」というくらい。

 なんだか今年のRSRは、パンチ力が例年以上に弱かった気がする。Join Aliveの影響もあるのだろうか、来場客もそれほど多くなかった気がする。ついでに言うと、グリーンオアシスのPAは相変わらずクソだったなぁ。あれは何とかならないのか。旧世代のOSで動いているサウンドシステム-。なんか、そんな聴こえ方だった。

 いや、むしろ逆に、これが普通のRSRなのかもしれないな。

 でも1万8千円(入場料)+2千円(駐車場)のチケットは、あまりにも値段が高すぎるぞ。ウエス!

 ・・・と、RSRの前後は感情がオーバー気味だったな。RSRの前にフリクション(レック+中村達也)、にせんねんもんだい、World Happinessを見たせいか、感情や音響をとらえる聴覚が尖ってたんだろうな。だからその感覚を差っぴけばたってフツーのRSRだったと思う。でも、やっぱりチケットは高すぎだな。

 2011年8月12日。今日から石狩湾で、毎年恒例の「Rising Sun Rock Festival」が開催される。DJ KRUSH、にせんねんもんだい、Okamoto’s、Y.Sunahara(砂原良徳)を見に、2年ぶりに行ってこよう

・・・と思っていたそんな朝、知人のブログを見て驚いた。

 ジョー山中が、亡くなったという。

 びっくりした。

 それと同時に、

 がっくりした。

 だってちょうど2年前の夏、RSRにジョー山中が、Flower Travellin’ Bandで出演したんだもの。石間秀樹の妖艶でぶっ飛んだ音色を奏でるイイ楽器・ギターラに載せ、名曲「SATORI」では驚異的なシャウトを聴かせてくれたし、元ハプニングス・フォーのシノ篠原のハモンドもいい味出してたし。

 開演10分くらい前は会場のアーステントが奇跡的にスッカスカで、最前列(石間秀樹の目の前)で見ることができた。でも終演直後、会場を振り返ると客が大勢。イイもん見たなと、日本のロック後追い者(俺)は感動したものです。

 とにかく、ジョー山中は日本のロックにとって、なくてはならない存在だ。

 FTBがいたからこそ、日本語でロックするべきか、英語でロックするべきか。なんてメロディーに歌を載せるギミックの考案がなされたわけだし。そこで興味深いのが、彼が歌う日本語のロックもイイということ。

 それはクニ河内、石間秀樹らと録音した「切狂言」。

 「セリフはうまく言えるかい?」

 シェークスピアの世界劇場(生きるものは皆、何かを演じている)をなぞるような、不思議な作品。ここに収録されている「タイム・マシーン」、「おまえの世界へ 」、「恋愛墓地」の3曲は、どう考えてもジョー山中以外、歌えない曲だと思う。彼だから歌えた、あのハイトーンボイジングがあったからこそ、オルガンとギターのノイズに埋もれることなく、「ROCK」できたのだろう。6~7年ほど前、この切狂言の復活セッションを見たとき、ジョー山中の声量とシャウトに、度肝を抜かれた記憶がある。そのとき、そんなことを感じたもんです。

 だからといって観客をロックの彼岸へ突き放すだけではなく、老若男女の聴き手の耳をきちんとソフトランディングさせるエンターテイナーとしての才覚も、確実に持ち合わせていたジョー山中。ライブ終盤には「スタンド・バイ・ミー」を歌い、マイク片手に会場を歩き回り、観客とコールアンドレスポンス。「なんか恥ずかしいな」と思ったけど、今思えばあれは、ジョーのフトコロの広さとサービス精神だったんだろうな。

 もし、ジョー山中がいなかったらと妄想してみる。

 (1)FTBはいなかった
 (2)切狂言もなかった
 (3)人間の証明のテーマもなかった

 それはつまり、日本のロックがもっとつまんない状態だった、ということ。

 彼がいたから、かつての日本のロックはとてつもなくおもしろかった。

 だからこそ言いたい。

 ジョー、ありがとう!

 俺はギターも弾けないしジョーのようにシャウトもできないし声量も無いけれど、これからもFTB、切狂言、そのほか彼の録音された歌声を、聴き続けようと思う。

 ジョー。今日の札幌の空は、晴れているよ!

 これから、石狩湾に行ってくるぜ。