ジョギングの魅力にずっぽしはまったドサンコにとって、何がつらいって冬こそつらいものはない。春夏秋と気楽に走ることができた歩道は雪と氷に閉ざされ、ジョギングをしようものなら怪我するか、ヘタしたら遭難するかもしれない。北海道の冬は冷たいが、走ることを望む人間にとってもまた冷たいのだ。
そこで思いついた。愛用のジョギングシューズと電子記録係のiPodとNike+をリュックに詰めて、アスファルトが雪と氷に覆われていない街に行けばいいわけだ!こうして年末年始、無理に休みをとってなかなか足を運べない関西旅行もついでにかねて、2009年12月27日、札幌から大阪へと向かう寝台特急「トワイライトエクスプレス」に飛び乗り、翌28日から31日まで、大阪、奈良、兵庫、京都の4都市で約100キロほど走った。その記録と様子を、Google mapを使って紹介していきます。
「これから関西を走ってみたい」というジョガーの参考になれば、また、地図も持たずに太陽の位置と道路の雰囲気だけでゴールを目指した阿呆ジョギング記を、笑いながら読んでいただければ幸いです。
東海林さだおのエッセイやものの本によく出てくる「日本一低い山」といわれる天保山。標高4.53メートルという「山」は、大阪から1500キロほど離れた北海道に住む自分にとって、一度は行ってみたい存在であり、また登山を愛するものとしては、一度は登ってみたい山でもある。
2009年12月28日、寝台列車を降りて天満橋のホテルをチェックインした直後、大阪市営地下鉄中央線に乗って、天保山を目指した。あこがれの山は地下鉄の大阪港駅から徒歩15分ほどの場所にあったが、やっぱりあっけない。大阪らしいショーもなさに感激しつつ、でもショーもなさに腹が立ちつつ、「これでいいのか」と、煮え切らないバカボンのパパのような気持ちを振り払いつつ、シューズのヒモをぎゅっと結び、iPod Nanoとシューズに内蔵しているセンサーを同期させる。生まれて始めての大阪ダッシュのスタート。目指すは、大阪城!
天気は快晴だが、海がすぐそばにあるためか風がやや強い。それよりも驚いたのは、潮の香りしてくるかなと期待していたのに、嗅覚がとらえるにおいは、工業的な、産業的な、人工的なにおいばかり。ゴムを燃やすような、排気ガスを束ねたような、鼻とのどの付け根がごわごわするような、軽度なポリューション。空気は決してよくないが、それでも見えるものがどれもこれも都会的で、走っていてたのしい。
↑天保山から東へ向かうと、頭上に阪神高速の天保山ジャンクションが広がる。グーグルの衛星マップで見ると、見事なつくりのジャンクションを楽しめます。ジャンクショニスト(ジャンクション愛好家)にはたまらない画像です。
↑天保山や地下鉄の大阪港駅からチラチラ見えた阪神高速湾岸線のでっかい橋。ちょっとヨーロピアンなつくりがステキです。ハイカラです。空気は悪いけど。
そんなイかしたジャンクションをかすめ、東へ走り続ける。北海道の歩道はすっかり圧雪アイスバーンに覆われているのに、大阪のそれはしっかり露出している。シューズはしっかりグリップし、滑る心配もない。1カ月ぶりに走るアスファルトの感触を足の裏で楽しみながら、歩道、自転車専用道路、車道、高速道路、地下鉄の順に計画的に配置されている「中央大通」を、5分10~30秒台/キロを維持しながら東進。道産子者の田舎者だから、初めて走る大阪がうれしくてしょうがない。知らず知らずのうちに、ペースが上がってしまう。
15分ほどで、JR大阪環状線の高架になっている線路が見えてくると、たくさん車線のある道路とぶつかった。するとなんと、横断歩道がない!カルチャーショックを受ける。札幌の道路ならば、横断歩道がない場所でも場合によっては突っ切ることができなくもないが、さすが日本第二の都市は違うね。ひっきりなしに車が現れるではないか。絶えることのない車の往来。無理やり道路を突っ切って、ここで事故死するわけにはいかない。どうしようかと悩みながら進路を変えると、歩道橋があった。車優先で人はその次。徐々に大阪の「走りにくさ」が本領を発揮し始めたかに見えたが、JR弁天橋駅を過ぎると、再び自転車専用道路と歩道という二本立てで、安心して走ることができた。それにしても、大阪のチャリンコユーザーたちは専用道路があるのに、5分の3の確率で歩道でペダルをこいでいる。これにはちょっと参ったけれど・・・。
チャリンコ族が前から後ろから、ビュンビュンやってくる大阪の街を走っているとだんだん汗でドロドロになっていく。西日が背中にあたって、ちょっと暑い。大阪東進ダッシュのウェアは、ナイロンパンツと速乾性の化繊のシャツ。ただ、風が吹くとちょっと肌寒い。そして広い道を走るのも飽きてきたので、あてずっぽうに細い道に入ってみた。
6車線の道路から、1本入ったとたんに車が1台通れるかどうかという細い道に出くわす。「これだよ。これ!」。道路が作られるよりも前に人が住んでいたような、そんな商都の歴史を感じさせる道を走る。と書けば聞こえはいいが、ここは商都・大阪。人と違ってナンボ、できるだけ突飛なことをして関東者をあっと言わせようという意識が24時間365日作動している街。突然、「毎年恒例のSMやります」みたいな張り紙がしてある、特殊な建物が視界に飛び込んできたのだ。
その名は「九条OS」。突然エスエムの二文字が目に飛び込んできたから、なんだこれは!と、一気に脳裏に焼きついた。その筋らしい人が建物から出てくるのと同時に、俺はアヤシゲな雰囲気が漂う一角を後にした。あとでネットで調べてみると、Wikipediaに以下のように記載されていた。
九条OS劇場は、毎年盆と暮れにSM大会を開催するため、関西の変態小屋といわれている。因みに九条OSのOSは大阪ストリップの略字の「O・S」であり、阪急阪神東宝グループのOSとはまったくの無関係である。飛田にある大衆演劇の「オーエス劇場」とも無関係である。劇場では他のストリップには見られないユニークな企画を実施している。美人のダンサーも多い。
特別公演はSM興行が多い。宣伝は過激だがこれは集客上の必要と思われる。当局が目くじらを立てるほどの内容ではない。客層は健全であり従業員も礼儀正しい。ヤクザ者は客にも社員にもいない。SM期間の興行内容はSM白黒、SMレズ、M男調教等である。ちなみに、白黒とは男と女という意味であり、蝋燭を垂らし鞭でしばきいじめるショーである。SMレズは女同士でSMショーをする事。、M男調教は調教を受けたい観客が参加し舞台上でムチ叩きや蝋燭たらしでさらし者にされていじめられる事。ただし、M男調教に参加しても出演料は一切出る事はない。
この劇場の歴史は古く、有名な伝説の踊り子、一条さゆり嬢もこの舞台に立ったダンサーである。(彼女は引退して十数年後、元ファンに火をつけられ、全身に45%の大火傷を負わされた。その10年後、釜ヶ崎で壮絶な一生を閉じる)
2006年頃から基本的にストリップは行わず、ワンドリンク制のショーパブ形式で営業を続けている。
wikipedia=「九条OS」から引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1OS
「関西の変態小屋」だなんて、なんだかすごいなあ。せっかくだから寄っていけばよかった。しかもSM大会!が「盆と暮れに」しかやらないんだもん。惜しい!いや、でも痛いことはいやだな。妙な気持ちを振り払うべく、再び中央大通に出ると、やっと阿波座(あわざ)についた。地下鉄大阪港駅から4駅目。距離にして約5キロほどの場所。途中、信号待ちや歩道橋越えで時間を食ってしまい、ここまで約30分かかった。そしてこの辺から建物の密集度が高くなり、細い通りでも車の往来が多くなる。だんだん織田作之助や町田康の作品で現れる本の中の「商都」が、具体的に像を結び始めた。
あてずっぽうに北へ向かうと、「靱公園」に出くわした。なんて読むんだろう。弥勒菩薩の「勒」と似ているけれど、違う。「うつぼこうえん」と読むらしい。ウツボって、海の生き物じゃなかったっけ。わけがわからなくなる。海のもんが、なんで陸にあるんだ。しかも海のものだったら、漢字のつくりに「さんずい」や「さかな」がつくはずなのに、この公園ときたら「靱」でうつぼだなんて。さっぱりわかんねー。
さっぱりわかんないのは地理感覚も同じ。東に向かっているはずなのに、だんだん道路が細くなっていくような気がする。大阪城は、まだかー。泣きそうな気持ちになりながら、スーハー、スーハー、酸素と二酸化炭素を交換しながら走り続ける。スーツ姿に携帯電話を耳に当てて大阪弁をたくみにあやつるビジネスマン、ビジネスおねいさんも多くなってきたなーと思ったら、道頓堀でおなじみの「カゼの改源」の本社ビルらしき建物が見えてきた。
ここらへんは江戸の昔のころ、薬問屋が多かったのかしら。遠く昔の歴史を想像しながら走っていくと、やっと天満橋に出た。きっと右手には・・・あった!見えた!大阪城だぁ!
天保山から1時間ほど。大阪城の西隣にある大阪府庁(橋下徹のいるところ)をかすめて、最後に反時計周りで大阪城を1周。最初のカーブを曲がると、JR森ノ宮駅へと続くなだらかな下り坂。坂を快適に下ると、大阪環状線のオレンジ色の電車が見えた。再びカーブしてこんどは北をめざす。左手に大阪城、右手にJRの線路。ジョガーも何人かいる。JRの大阪城公園駅を過ぎた橋を渡り左に曲がって、もう一度橋を渡って、追手門小学校を過ぎてゴール。1時間30分で16キロを走ったのでありました。
このあと、心斎橋のレコード店を冷やかして、道頓堀でたこ焼きをつっついてから時計回りで大阪城内を1周し、翌朝は反時計回りで1周。大阪城周辺はなかなかに走りやすかった。