おんがく、あれこれ

 2011年8月12日。今日から石狩湾で、毎年恒例の「Rising Sun Rock Festival」が開催される。DJ KRUSH、にせんねんもんだい、Okamoto’s、Y.Sunahara(砂原良徳)を見に、2年ぶりに行ってこよう

・・・と思っていたそんな朝、知人のブログを見て驚いた。

 ジョー山中が、亡くなったという。

 びっくりした。

 それと同時に、

 がっくりした。

 だってちょうど2年前の夏、RSRにジョー山中が、Flower Travellin’ Bandで出演したんだもの。石間秀樹の妖艶でぶっ飛んだ音色を奏でるイイ楽器・ギターラに載せ、名曲「SATORI」では驚異的なシャウトを聴かせてくれたし、元ハプニングス・フォーのシノ篠原のハモンドもいい味出してたし。

 開演10分くらい前は会場のアーステントが奇跡的にスッカスカで、最前列(石間秀樹の目の前)で見ることができた。でも終演直後、会場を振り返ると客が大勢。イイもん見たなと、日本のロック後追い者(俺)は感動したものです。

 とにかく、ジョー山中は日本のロックにとって、なくてはならない存在だ。

 FTBがいたからこそ、日本語でロックするべきか、英語でロックするべきか。なんてメロディーに歌を載せるギミックの考案がなされたわけだし。そこで興味深いのが、彼が歌う日本語のロックもイイということ。

 それはクニ河内、石間秀樹らと録音した「切狂言」。

 「セリフはうまく言えるかい?」

 シェークスピアの世界劇場(生きるものは皆、何かを演じている)をなぞるような、不思議な作品。ここに収録されている「タイム・マシーン」、「おまえの世界へ 」、「恋愛墓地」の3曲は、どう考えてもジョー山中以外、歌えない曲だと思う。彼だから歌えた、あのハイトーンボイジングがあったからこそ、オルガンとギターのノイズに埋もれることなく、「ROCK」できたのだろう。6~7年ほど前、この切狂言の復活セッションを見たとき、ジョー山中の声量とシャウトに、度肝を抜かれた記憶がある。そのとき、そんなことを感じたもんです。

 だからといって観客をロックの彼岸へ突き放すだけではなく、老若男女の聴き手の耳をきちんとソフトランディングさせるエンターテイナーとしての才覚も、確実に持ち合わせていたジョー山中。ライブ終盤には「スタンド・バイ・ミー」を歌い、マイク片手に会場を歩き回り、観客とコールアンドレスポンス。「なんか恥ずかしいな」と思ったけど、今思えばあれは、ジョーのフトコロの広さとサービス精神だったんだろうな。

 もし、ジョー山中がいなかったらと妄想してみる。

 (1)FTBはいなかった
 (2)切狂言もなかった
 (3)人間の証明のテーマもなかった

 それはつまり、日本のロックがもっとつまんない状態だった、ということ。

 彼がいたから、かつての日本のロックはとてつもなくおもしろかった。

 だからこそ言いたい。

 ジョー、ありがとう!

 俺はギターも弾けないしジョーのようにシャウトもできないし声量も無いけれど、これからもFTB、切狂言、そのほか彼の録音された歌声を、聴き続けようと思う。

 ジョー。今日の札幌の空は、晴れているよ!

 これから、石狩湾に行ってくるぜ。