毎年行くかどうか少し悩んで、悩み続けることで先送りの先送り状態に陥ってしまい結局行かないのがフジロック。北海道から苗場まで。飛行機と新幹線を乗り継いでいくことが億劫だし、だいたいそれ以上に最長4泊5日のテント生活という名の野宿を40過ぎのオッサン(私)ができるかい?できるかい?(ザ・テンプターズにそういう曲がありました)と自問自答し続けるのが、だいたい毎年5月、6月あたりの風物詩みたくなってて、はや10年以上。
学校はとっくに出たし家庭もあるし花をいける花瓶もあるし、カーテンに至っては何枚もあるし、そんな「守り」の生活を続けて、すっかり体も心もフジロックに身構えるようになってしまった。フジロックはめちゃくちゃ遠い存在になっていた。行けるわけないじゃん。行く気ないじゃん。はるかかなたのアンドロメダを夢想する星野鉄郎aka銀河鉄道999状態を続けて12年目を迎えた。
レディオヘッド見たさに行った12年前と比べて、明らかに体はどうかしてる。そう、老化してる。「年には勝てないぜ」とフジロック参戦を思いつくたびに、吾妻光良 & The Swinging Boppersの名曲が脳内でリピートする。血圧150→300までは行かないけど。
でも今年は違った。こんなめんどくさい状態になったオッサンの身に降りかかるあらゆるメンドクサイことを無視するような、とんでもないニュースが飛び込んできた。それは2024年の冬。北海道はまだ雪があった時期。
「フジロックのヘッドライナーにクラフトワーク!」
嘘かと思った。いや嘘だねとハナから疑ってた。KRAFTWERKっていう20歳くらいの兄さんたちがやってる、俺が知っている旧西ドイツで結成されたクラフトワークとは別バンドなのではないかと自分の目を疑った。コーネリアスのリミックスアルバムでMGMTの「Brian Eno」を、コーネリアスの録音にブライアン・イーノがいるのか!と思ったように。いや、そんなレベルじゃないな。
おおむね100回くらい疑って、どうやらラルフ・ヒュッターのクラフトワークがマジで出演するということが分かってからというもの、すぐにチケットを買う手続きをネット上で行った。チケット代はキャンプサイト代も含めておよそ6万円。最近のフェスっていっぱい人が来るから、どうせ抽選制だろと思って申し込んだ後に届いたメールを見たら、先着制だった。あわてて大金を支払った。
それからの約5月間は、あんな新潟県と群馬県の山間にある辺鄙な場所に、クラフトワークは本当に来るんだろうか。チャリンコで三国峠を越えようとして事故ったりしないだろうか。いやチャリンコで来ないでくれ。でもクラフトワークは来てくれと、わけのわからない自問自答を通奏低音のように鳴り響かせながら、来るべき日に備え続けた。
後で気づいたけど、どうして最初から3日間で参加しようと思ったのだろうか。無意識に「どうせ行くなら3日間チケットでいい!」とタカをくくったのだろうか。いやわかんない。それくらい、最初からおかしくなっていたワタシは、苗場でもっとおかしくなっていった。